岐阜への家族旅行からの帰路、東京駅にある書店でこだま和文さんの『いつの日かダブトランペッターと呼ばれるようになった』を探したのだけれど、残念ながらというか予想通りというか、その書店には置いてなく。
まあそれはそれでいいのだけれど、その書店の品揃えにはひどくうんざりさせられた。「日本はこんなに凄い」系の本、嫌韓嫌中本、ビジネス書、雑誌、見た感じどうしようもなさそうな娯楽小説、大量のマンガ。スペースも限られていたし駅の中という立地もあるのだろうけど、今の日本の縮図のようなその空間はあまりにも私にとってあまりに醜い。合理性や効率性は時に文化を殺す。
今日の昼に間違って「ミヤネ屋」を見てしまったのも落ち込んだきっかけになったのかもしれない。大衆に媚びる宮根誠司の姿はとても見られたものではなく、矢口真理の謝罪会見なんか見たくなかったし、運動音痴な女子アナがフルマラソン走ったとか、そんなことホントの本当に心底どうでもいい(こうしたトピックが自然と頭に焼き付いてしまうのは、子供の頃からの自分の悪い習性だ)。こんな些細な時に、自分は現在の日本の主流の価値観から離れてしまったのだなと実感する。
この環境に対してどう折り合いをつけて生きていくか、というのはここ2~3年の大きな課題だ。解決策は見つかりそうにない。一生葛藤、というかイライラし続ける可能性が高いのかもしれない。このニュースを見る限り、悪い流れは断ち切れそうにない。非合理性や多様性を許容できる国こそ美しいと思うのだが。